講演会の窓口でお世話になったある女性が、
会社を辞めて日本に帰国するという連絡をもらい、
東京で食事をすることになりました。
英語と中国語を使い、海外でバリバリ仕事をされていた彼女が、
「やり切ったと思ったから」と潔く言い切った時には、
何だかこちらも気持ちの良いものを感じました。
「人間関係」で、とか周りや環境が理由なのではなく、
自分が自分の仕事や行いに責任を持っているから、
自分で決めて潔く行動を起こせるのだと思います。
「やり切った」と思えるある程度出来る事が限られている仕事だったと、
ある一面では寂しげな表情も彼女は見せていましたが。
「やり切った」というまで仕事をしたい反面、
「やり切った」という上限は壊していくというぐらいの
想像力も持ちたいと思う今日この頃です。
