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2013年1月 アーカイブ

2013年1月11日

北野誠さん講演同行「父の自殺を乗り越えて―死なずに生きていく―」

弊社でプロフィールをご紹介をさせていただいております
タレントの北野誠さんについてご紹介させていただきます。


北野誠さんは現在、CBCラジオ「北野誠のズバリ」(毎週月曜?金曜)などの
出演をはじめ、タレントとしてご活躍されています。
その一方、2009年には『死んだら、あかん!』という著書を出版され、
26歳の時に自身の父親を自殺という形で亡くされたご経験を告白されました。
近年では「父の自殺を乗り越えて―死なずに生きていく―」
というテーマで自殺予防対策講演に力を入れていらっしゃいます。


北野さんは、30年近くお父様の自殺について
気持ちの整理をつけることができなかったと言います。
自分の経験が少しでも自殺予防につながればという気持ちで、
講演を始められました。


講演前半は、お父様との思い出をはじめ、
自身が芸能界に入ったきっかけなどを
自殺予防対策講演とは思えないほど、
明るいエピソード話を交えてお話しが進んでいきます。


後半は、お父様がうつ病になっていく様をお話されますが、
お父様本人の様子はもちろん、周りを支えるご家族の様子も克明にお話されます。
会場では涙を流されて聞かれている聴講者も多数みられました。
北野さんは、「そばにいて話を聞くことが一番大事」、
「坂を上っているときは苦しい、坂を下っているときは楽。
自分が苦しいと感じる時は、人生という坂道を
まさに自分が登っている試練の時だと思うと気持ちが楽になる」
とおっしゃいます。


うつ病と闘うすべてのみなさんに、生きることの大切さ、
楽しさを実感することができる講演です。


是非、北野誠さんの自殺予防講演、
一度聴いていただきたいと思います。


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北野誠氏講演情報


穂積舞子


2013年1月22日

伊藤智也さん 講演同行「夢へと導かれる人生」

先日企業様ご主催の講演会で、伊藤智也さんの講演会へ同行させていただきました。
伊藤さんは、ロンドンパラリンピックの銀メダリストで、現役を引退されたばかりです。
今回は「夢へと導かれる人生」と題して、お話をいただきました。


車いすの生活の前にされていたお仕事のこと、パラリンピックへ出場されたこと、
そもそもパラリンピックを志したこと、噺家さんのように、時には笑いを交え、
時には間をとってしんみりとお話をされ、聴講者の方々を引き込んでいかれました。


初めてのパラリンピックである、アテネ大会で、
伊藤さんはカナダの選手を転倒させてしまいます。
その選手は、前回大会の覇者であり、この大会に連覇をかけていた選手でした。
伊藤さんが、事の重大さに驚愕しながらもお詫びを言うと、
「これがレースだ。4年後にまた会おう」と許して下さったそうです。
この経験から、ただ速い選手になるのではなく、勇気があり、許すこと、
認めることができる強いランナーを目指し、
見事、次の北京パラリンピックでは、金メダルに輝かれました。


一方で、このカナダの選手は、アテネパラリンピックの2年後に亡くなられていました。
この金メダルに導いてくれた、彼の一言に救いを感じた伊藤さんは、
次のパラリンピックで彼のためにチャンピオンとして挑み、
2位である銀メダリストとなることで、49歳で現役生活に幕を閉じました。


これからは、「障害者ドリーム」を実現するために、
言葉や文字で人生の夢をみたいと仰っています。
笑いも涙もある講演会、さまざまなご主催様へお薦めです。


伊藤智也氏講師情報


田中周子

2013年1月28日

京谷和幸さん講演同行「出会いの素晴らしさ」

企業様の主催された、京谷和幸さんの講演会に同行させて頂きました。


人とのつながりを大切にされている京谷さん。
人・本・出来事・映像などとの出会いによって
41年間自分が生かされていると冒頭に語っておられました。


・サッカーとの出会い
・車いすバスケとの出会い
・妻との出会い
・事故との出会い
京谷さんの講演の骨子は大きく上記の4つです。


京谷さんの元々の夢はプロ野球選手だったそうです。
バスケは、ただ好きで始めたわけでもなく、
その時の環境で野球が小学校3年生からしかできなかったため、
野球をすることを小学校2年生であきらめ、
先生からの後押しで「足が早いから」という理由だけでサッカーを選んだ京谷さん。


褒められる→頑張る→褒められる→頑張るの繰り返しで
どんどんサッカーに打ち込むようになり、
スペインW杯の西ドイツ×フランス戦を見て、
リトバルスキー選手に憧れ、その時に初めて
サッカー選手になることが「夢」から「目標」へと変化していきました。


高校1年の時、10番をつけて試合に出れなかったらサッカーをやめると母親に約束。
現実は厳しく、最初に手渡されたのは背番号「13」。
そこから根拠のない自信でエースの証である背番号「10」を勝ち取りますが、
背番号「10」を勝ち取った喜びよりも、まだ自分はサッカーを続けてもいいんだ、
という喜びの方が強かったようです。


しかし、高校2年生の時には日本ユース代表と五輪代表に
選出される実力を持ち合わせていたが、
プロになった瞬間に自分には「夢」や「目標」がないことに気づかされ、
サッカーがただこなすだけの「仕事」になり、好きなものが好きでなくなり、
楽しいものが楽しくなくなっていったそうです。


その後、交通事故により脊髄損傷になり車椅子生活となります。
そうした京谷さんにとっての「事故」という1つの出会いが
その後の京谷さんの考え方、そして人生そのものを大きく変えていったと言います。
「あたりまえ」のことが「ありがたい」という感謝の気持ちに変わっていく。
そして、奥様との結婚を機に「決断」「覚悟」「決意」をすることで
「感謝」の先の想いに気づき、車椅子でできるスポーツを探した結果、
車椅子バスケットボールの道へと進まれます。


小さなことをやり続ける勇気が「自信」につながっていると
京谷さんはおっしゃっています。
「がんばれ」というのは「頑張れ」ではなく「顔晴れ」ということを
最後に聴講者に力強い向けてメッセージを残されました。


本当の「感謝」というものが何なのかを考えさせられる京谷さんの講演会を
皆さんも一度聴いてみて頂きたいと思います。

京谷和幸氏講演情報


一瀬裕司


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