声が出ない時間は5秒くらいだった、でしょうか。
30歳までの時間感覚で、もっとも5秒という時間が長く感じ、不安でパニクッタ瞬間でした。
「あー」 ”やっと声がでた。”
「先生!!今 右耳の奥でグチューという音が聞こえ、痛みを感じ、声がでなかったですよ!」
「んー何だろうね。今はどう?」
「今は痛みもなく、声もでますが。。。」
「で、あれば問題ないんじゃないかな。まぁ、様子見て何か問題があったらまた来なさい。」
そんな会話をしたことを今でも覚えています。
ちなみに、人生。。。三十路なりたて編 No.1、2もご覧頂いた方は、ここまでの経緯でその医師はどんな治療を施したのだろうか?
とお思いになられた方もいるかと思うので、話は遡りますが説明します。
症状は「耳管開放症」ということで、No.1で記載しましたが、この症状は中耳炎によくかかる人がなりやすい症状で、中耳炎というのは中耳の炎症で、中耳付近が腫れる状態になるのですが、中耳炎が治るとその腫れも引くことになります。それを繰り返しているうちに耳管という耳と鼻の境目にあたる部分が正常の人の管幅よりもひろがってしまい、空気調整が正常でなくなり、あくびや唾を飲み込んだり、時には自然現象で、ダイビングの際によくおこなう耳の空気抜き的な症状が発生するというものでした。
これを緩和するには、耳管付近を通常の管幅にするしかなく、広がっているものを縮めることをしなければならないという理屈なのですが、縮める手段として医師が施した治療が耳管近辺を炎症状態にさせるというものでした。
最初は、長い綿棒に炎症剤をぬり、右の鼻腔から耳管近辺に付着させるという治療をおこなっていたのですが、それも緩和症状のタームがどんどん短くなるので、治療を変えるということになりました。
その治療法というのは、先の長い注射器のようなものに炎症剤を吸い取り右の鼻腔から耳管近辺にその炎症剤を注入するというものでした。
ようは、炎症剤量を増やす事で炎症状態を引き伸ばすという理屈です。
ちなみに、僕はこの一連の説明を医師から聞かされていました。
”理にかなっている”
聞いた時、僕はそう思いました。
(が、ゆえに不安も無く依存性の高い楽観的状態でいられたのでしょうか。。。)
それから、太陽が照りつく中、職場へ戻るころからしばらく顔面右側に違和感を感じていたのですが特に痛みがあるわけでもなく、声がでないわけでもなかったので、仕事を続けました。
今、思い出したのですが1999年6月も下旬の金曜日でした。
