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2006年11月 アーカイブ

2006年11月 6日

「講演」が私のビジネスで本当に幸せだと実感した日

またまた、久しぶりのブログですみません。
さて、今日はタイトルにある−「講演」が私のビジネスで本当に幸せだと実感した日−を綴らせて頂きます。


私は、かなりの歴史好きで小学校低学年の時から徳川歴代将軍15人のフルネームを覚え、母に自慢げに家康から慶喜までの名前を順番にいう事に喜びを感じていた人間なのですが、その歴史好きが先般、歴史小説家の童門冬二先生の講演を初めてお願いすることになりまして、私がアテンドで付き添いをさせていただく機会があったのですが、最高の先生いや師に出会えた気持ちでした。


それはもう、”知識の泉・知恵の宝庫” とでもいうべき方で、発する言葉はもちろん一挙手一投足すべてが学びの対象でした。
歴史はもとより、童門先生は落語も学ばれていて、粋で洒落ごころのある方で講演前に私と二人で控え室にいたときも歴史の話を面白楽しく聞かせて頂きました。
また、講演においても落語的な雰囲気を醸しだし要所要所で聴講者の笑いを演出されるという高等(口頭というべきか)技術で、私は終始60分間身を乗り出して拝聴していました。


歴史好きという背景もありますが、童門先生に会えて本当にこの仕事をやってて「私は幸せな人間だなー」という事が実感できた1日でした。
また、講演後初めて別れが名残惜しい気持ちになった講師の先生でした。
後日、童門先生のプロフィールページが講演依頼.comに紹介される予定ですが是非一度先生の講演を拝聴していただければと思います。
歴史を題材に 人生、ビジネス、教育 というジャンルで多くを学べる事うけあいです。


童門先生は 恕 という言葉を使用するのですがこの言葉の素晴らしい事なんのって!


知りたくありませんか?


2006年11月16日

人生とは。。。三十路なりたて編 No.8


その後、医師はとにかく原因が何かを把握するために様々な検査をおこないました。
摂取できるもの(血液、唾液等等)はすべて摂取しました。
その中でも口腔内の肉片をとって検査するということをしたのですが、これは麻酔はするものの結構痛かったです。
と、3日後くらいでしょうか、医師が「もしかしたらカビが原因ではないか?」と考えたらしくそれからカビに効果的な抗生剤の投与が始まりました。


1日目、特に変化はみられなかったですがそれからなんと、日々壊死の進行度合いの速度が下がり1週間くらいすると壊死進行が止まりました。
医師からも「取りあえずは安心して下さい」と言われ安堵しましたが、顔の歪みはまだそのままだったのと、ほとんど会話ができないという状態で当時営業職に従事していた私としては社会復帰が心配になりました。
まぁ、死の可能性を告げられたことを思えば心配要素としては恵まれているのかもしれませんが生活ということを考えると結構こちらの方が不安度が高まりました。


それからそうこうしている3日後くらいでしょうか、顔の歪みが正常にもどってきたのですが今度は口がほとんど開かないという状態になってきてしまったのです。
急激な変化で顎のあたりの筋肉が硬直状態になったようです。
また、このころになると熱は以前ほど高くはないのですがまだ37.5度前後の状態が続いていて平熱が35.5度ない僕には相変わらずだるい状態でした。


でも、喉近辺の痛みはだいぶ軽減され、しばらくすると麻酔なしで水が飲めるようになりました。
この時、初めて感じたのですがエビアンを飲んだらめちゃくちゃしょっぱかったのを覚えています。
恐らく、久しぶりに麻酔無しで物を口にしてエビアンに含まれるマグネシウムか何かわかりませんが微量の塩分要素を含むものに過剰反応したのでしょうか。
人間とは、状況によって感覚や感性が研ぎ澄まされるものだという事を感じました。


そして更にそれから3日もすると流動食が食べられるようになり10日後くらいからは、小さく刻んだおかずとお粥程度の食事ができるようになりました。
なぜ?小さく刻んだおかずかというと、この頃口が2cm少々しか開かず小さく刻まないと食べれない状態だったんですが、更に5日もたつとお粥から少々やわらかめの御飯が食べれるようになってきました。


医師もこの時には、ある程度好きなものを食べても大丈夫とのことを言っていただき見舞いに来てくれていた母が、僕の好物のうなぎの蒲焼を買ってきてくれたのですが、それをゆっくりとではありましたが食べた時の旨いこと!!
この時に生きれた事に対してのうれしさとありがたさが混在して、母をにじんで見ながらうなぎを食べていました。。。


今、思うのですがそれからもそうですがこれからもあんなに旨いと思って物を口にすることは、もうないだろうなぁー と思うくらい旨かったです。


2006年11月29日

人生とは。。。三十路なりたて編 No.9


食事ができるようになってから3〜4日が経つと体調も良くなってきたのですが、熱がまだ37.5度前後あり、平熱の低い私としてはまだ体がだるい状態は続いていたのですが、まずは回復基調にあるということで、心理的には楽になっていました。


ただ、開かない口を「どうしたものかぁなぁ。。。」と思っていると医師がペンチのようなものを持ってきて


「毎日最低でも5分5回、この器具で口を開くリハビリをして下さい」


と、言いました。


最初は、開かない口にペンチをはさみ無理やり口を開けるわけですから痛いのなんのって。。。
リハビリの苦痛というものを経験しました。
ただ、何とか正常にしないといけないと思う気持ちと時間だけは十分にあったので痛みを堪え30分毎に5分リハビリをしていました。


3日が経ち、7日が経つとだんだんと口が開くようになってきたのですが、一難去ってまた一難で、今度は話をする時に右側の扁桃腺辺りの肉ひだが壊死で欠けたことで、濁音が言えない(すずきがすすきになってしまう)のと、普通に味噌汁などを飲んでいる時に少し下を向くと鼻から汁が出てきてしまうという情けない状態が発覚したのです。
鼻から出てくる状態は、飲み込む前にちょっと上を見あげれば大丈夫だったのでさほど気にもしなかったのですが、濁音が言えないという状態は「仕事に復帰した時に困ったことになるな。。。」という不安にさいなまれました。



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