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2006年12月 アーカイブ

2006年12月12日

人生とは。。。三十路なりたて編 No.10


 ”時” とは、早く感じたり遅く感じたりとその都度都度において人の捕らえる感覚を変化させる不思議なものですが、闘病中は何とも時間を長く(遅く)感じていたのですが、病状もよくなり退院日(確か9月4日か5日あたり)まで決まった8月末には、生死に関わる状態であった7月、8月という入院約2ヶ月間があっという間の出来事のように感じられ、いざ退院という段階になるとだんだんと以前よりも時間の進み具合が早く感じられるようになったのを記憶しています。


「人は、時の中で生かされている。。。」


退院後2週間程度まだ自宅療養でしたので、時間は充分にあり、そんなことを感慨深く思っていました。
とは、言うものの退院直後は相変わらずまだ濁音が言えないという状態だったのと、医師から「完治したとは言いきれず、いつか再発するかもしれない」という可能性を示唆されていたので、後ろ向きな気持ちが大半を占めていました。
「自分は、何でこんな病気(というか事故?怪我?)をしたのか?」自分の人生を振り返って考えても真実の答えなどわかりもしないことに自問自答し悩んでいました。(多少やるせない自暴自棄というかうつ状態というか。。。)


が、3日が経ち4日が経ち日を追うごとに
「これではいけない。運良く俺は生きている。考えようによってはついている。そしてこれからも生きなくちゃいけない。生きていくために今できることをしよう。」


と思うようになり、発声練習をし、頭の回転を取り戻そうと好きな歴史小説を読みふけりました。
発声練習は、鏡に向い濁音がうまく言えるよう口の大きさ等をチェックしながら毎日30分を3セット。
読書は、高校1年の冬に読んで私が師と仰ぐ坂本竜馬 「竜馬がゆく」 を読み返しました。


発声練習はなかなか思うような成果がでませんでした(濁音がなんとか普通に言えるようになるのは11月中旬くらいからでした)が、竜馬がゆく を読んでいると高校生とはまったく違う次元で竜馬という人間はもとより幕末を生きた志士達の悲喜こもごもが、染み入るように感じ取れました。


「人にはそれぞれ持って生まれた宿命運命がある。
生きているということは、世の中の何かに必要とされ、何かをするため・残すために生かされている。
俺も何かをするため・残すために生かされている。
何かしよう!いや、しなければ!そう何が何でも!」


そんな思いが沸き立ちはじめたのです。


2006年12月18日

人生とは。。。三十路なりたて編 No.11

9月も下旬にさしかかり、めっきり秋らしくなった頃に私は社会復帰をしました。
実に3ヶ月ぶりの会社への出社です。
まだ、濁音が充分に発音できない中、”不安” と ”でも、やっていくしかない” という気持ちで会社へ向かいました。
事情は、グループのメンバー・上司含め会社全体が把握してくれていたので、暖かく向かい入れてくれました。
なので、初日からハードワークということはなかったのですが、それでもさすがに会社へ行くと早く仕事における勘を取り戻したい、今までの休暇分を挽回したいという思いと焦りがこみ上げてきたものです。
まずは、それぞれの部署へ挨拶まわりをしました。


「おー!勝彦、元気になってよかったな!」
「勝彦さん、もう大丈夫になったんですかー?」
「災難だったね。。。」


等等、会う人・会う人に激励、心配等々の声をかけられました。
そのたびに僕も話をするのですが、やはり濁音がうまく言えない。。。


相手も話の途中で、それにきずく。
私は理由を説明せずにはいられず、何故濁音がうまく言えないのかを体には脂汗をかきながら笑いながら冗談っぽく話す。


「イヤー、まいりましたよ。へんとうせん の はんふん かぁ えし して うまく たくおん か いえなくて すすき まさひこ に なっちゃうん て すよ。 なんとか かいわ は てきる のと こうやって 右の鼻を手で押えるとちゃんと濁音が発音できるので、仕事上さして支障をきたすわけではないと思うんですけどね。。。ハァッ、ハァハァ〜」


まいった。内心本当にまいった。
社内の気心しれた人たちだから「ぜんぜん、大丈夫だよ!」とは言ってくれるが、営業職としてお客廻りをする時は。。。


どちらかというと、口八丁とはいわないまでも しゃべくり でそれなりの業績を上げていた僕には何ともいえない恥ずかしさと屈辱的な気持ちでいっぱいだった。
何とかしなければ。。。毎日発声練習をしてから10日以上が経つがいっこうに効果はでない。


会社復帰してから3日目、もう時間は待ってくれない。
顧客へも挨拶へまわらなければならない。行かないわけにもいかない。


「ますは、きこころ しれている おきゃくさん の ところへ の ほうもん たから。
ては、いってきます!」
メンバーへは、明るく振舞うものの内心は、かなり憂鬱でした。


9月も下旬だというのにその日は妙に暑い。
変な緊張感というか、受付について受付嬢に自分の名前を言う段階になった瞬間に脂汗が出てきた。
そして応接室につく頃には、もうシャツはびしょびしょだった。たかが1分程度の間に。


「コンコン」
「はい。」
「おー鈴木さん、元気になった!?」
「えー、おかけさま て、なんとか ふし に」

「・・・」

会社復帰の初日と同じことを繰り返した。話せば話すほどに脂汗が吹き出て目眩がしてきた。
目の前が真っ暗になり、気持ち悪くなってきた。


「鈴木さん、大丈夫!」
「えー、たいしょうふ てす。」
「今日は、このまま帰った方がいいよ、タクシーよんであげるから!」


5分くらい経っただろうか、、、
(いや、あの時の時間はすごく長く感じた。人間マイナス状態にある時ほど時間は長く感じるのだろうか。逆に楽しい時は ”あっ!!” と いう間の出来事なのに。なんとも理不尽な気がする。)
タクシーに乗っていた。


これからどうしたものか。。。
タクシーに揺られながらの帰路途中、私の脳裏に ”言葉”  という2文字が急に浮かんできた。



2006年12月27日

コマーシャル


12月27日(水)本日で年内の営業が終了します。(年始は1月5日(金)からになります。)
2006年を振り返り様々な方々との出会いがありました。
なかでもこの1年のうちというより、人生という尺度の中で衝撃というか興奮した出会いは童門冬二先生との出会いでした。
10月27日(金)しょうみ2時間半程度の時間をご一緒させていただいただけですが、歴史好きの僕には本当に至福の時でした。
また、その後においても講演の依頼において無理なお願いも快くご快諾いただいて人間の大きさを感じています。


童門先生は50歳を過ぎてから作家の道へ転身されたのですが、そのバイタリティーさに感服するとともに自分は50歳を過ぎた時にそういった決断をできるものかと考えるとともにまた勇気付けられる気持ちにもなります。
また、童門先生は2007年で80歳になられるのですが本当に元気で洒落で粋な生き方に驚かされます。
先生が、何故そんなにも輝いていられるのか自分なりに考えるとですが、歴史(人)に対するあくなき探究心と好奇心と書籍にしたためていく創作心(活動)、そして書籍や講演を通じて人々に伝えるという活動が源ではないかと思っています。


今、私は人生をテーマにブログを徒然に綴っていますが人生の意義とは「知る」⇒「創る」⇒「伝える」ということにあるような気がしてなりません。
ちなみにこれからのブログも何故私がそう思えるかを自身の経験談から綴っていきますが、引き続きご覧いただければ幸いです。


2006年皆様本当にお世話になりありがとうございました。
来年もご愛顧のほど何卒よろしくお願い致します。


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