人生とは。。。三十路なりたて編 No.13 |
10月、紆余曲折ありながらも仕事に人生に前向きな気持ちになれてきた時。
幸運にも私は、それまでITグループというIT業界マーケットの人材紹介促進を担当していたのですが、10月から当時目覚しい成長を遂げていたインターネット業界マーケットの人材紹介促進をインキュベートすることになったのです。
何が幸運なのか?それはお読みいただければ後ほど把握いただけるかと思うのですが、当時国内のインターネット業界は目覚しい成長とはいうもののまだまだ黎明期で、企業スタイルは大手IT企業もしくは大手商社が外資系インターネット企業と合弁で日本法人を立ち上げるか、ネットベンチャーのいづれかでした。
合弁会社はバックグランドがあるので、企業把握もしやすいのですがネットベンチャーは海のものとも山のものともわからない企業が多々存在していました。
今でこそ上場している数々のネットベンチャー企業も当時はマンションの一室か手狭なオフィスビルに社員が数名いて、無造作に寝袋を見かけるというようなあり様でした。
ただ、言えたのは社長がほとんど僕と年齢的にもかわらない30歳代が中心であったことと、当時パラノイヤー(偏執狂)という言葉が流行ったのですが、まさに仕事が大好きで大好きでたまらない、寝ている暇がもったえない!!というような人ばかりでした。
なぜか?大きくは3つの要素があったように私は推測しました。
1つめは、先行するアメリカにすでに模範があったのですが、インターネット(特にWeb)という存在が世の中の商慣習や個々人のライフスタイルを本当に変えられると思えるほどの革命的インパクトがあった。
(これは、今になっては事実となっていますね。少なくとも私はそう思っています。)
が、ゆえに自身が世の中を変えられる。いや変えているという感覚がリアルに実感できた。
これは、そうとう面白い感覚です。確かに寝てなんかいられません。
2つめは、大手企業や識者などがマーケットを様子見している中で、それまではそうは会う事がありえなかったような人たちにいとも簡単に会える状況が頻発し、更には電光石火の如くビジネスが、うねりを上げて進行していく感覚とままある現実。
3つめは銀行、商社、VCなどがバンバン投資をしていたのと、これまた先行するアメリカにすでに多数の模範がすでにあったのですが、上場することでのインカムです。
これが当時のアメリカは、まさにネットバブルですから数億いや数十億いやいや人によっては百億単位のインカムを得ているという事実と自分の会社でもその可能性を充分に感じられた感覚。
この3つが志、野心、欲いづれか1つでも持ち合わせている人間に目の色を変えさせて仕事をさせる”源泉”今でいうモチベーションだったと思います。
まさしく幕末的な時代背景を感じたのを強く覚えています。
また、同年代の社長役員クラスに幕末、特に坂本龍馬好きが多かったのも偶然ではなかったのかもしれません。
私も良くも悪くも刺激されました。同年代がこんなにも良くも悪くも燃えている。
そして、彼らは異口同音にビジネスモデルはある、金もある。無いのは人材だと。
私は、短期間にこの業界に多数の優秀な人材が流入するであろう可能性を感じたのと、そして私がそのスキームを創ってやろう!と。
この少し後からでしょうか。上司から同僚から「勝彦?どうして、急激に人間がそんなに豹変したんだ!」と言われるようになったのは。。。
でも、刺激的でエキサイティングで本当に面白い日々でした。
