更に時は流れて、2002年10月も半ば。私は34歳になっていました。
1年1ヶ月前の9.11 アメリカ同時多発テロ事件以来 仕事に遊びに 遮二無二生きてきた私が更に大きく変化したのは、感性というものでした。
以前の私は、楽しいことのみが大好きで、できればいつでも笑って過ごしていたいという超楽天的人間で、ものごとに感動をしたりとかのいわゆる喜怒哀楽が希薄な人間だったのですが1年1ヶ月前の9.11 アメリカ同時多発テロ事件以来、様々なシーンで感動したり涙したり笑ったり怒ったり哀しんだりという喜怒哀楽の表現が激しい人間になっていました。
別段悪いことだとも思っていないので、今だにそうですが自分で何故ゆえにそうなるのかを思うと見るもの・聞くもの・嗅ぐもの・味わうもの・触れるものといった五感が昔より徐々に敏感になってきているような気がします。
何故か? それは、うまいことの説明ができないのですが五感で捕らえた対象事象に自分なりにストーリーをイメージしたり、何故そうなるのか?だぶんそれはこうだから。。。というような機微を感じられる イメージできる ようになってきたからだと思います。
いわゆる、第六感的なものというのでしょうか?
また、よく書籍や雑誌で人の能力を高める重要要素に ”感性を磨け” ということを見かけますが、この”感性を磨く” 一番の方法は私が33歳からそうなった 物事や事象に対して 何故?何故そうなるのか?どうして、そうなのか?ということからのスタートがすべてのように思います。
そして、次に自分なりに「たぶんこうだから。。。」というような仮説や物語(ストーリーやヒストリー)をイメージというか創ってみる。
そして、その仮説や物語(ストーリーやヒストリー)をできる限り検証してみる。
そうすると、だんだんと好奇心が勝ってきて知りたい欲求が高まる。
この状態になると自然と思考の回路が、五感対象(もしくは経験対象)⇒何故⇒仮説⇒検証 の サイクルになっていき人間の良さや醜さが実感でき、またそれを受け入れられるようになり更に深層心理が察せられる力がつき、物事の本質を見抜く力も養なわられ、徐々に万物の原理原則がわかってきて感性というものが少しずつ研ぎ澄まされていくように思います。
また、五感対象(経験対象)とは実は生活しているあっちこっちに存在していて、見過ごすか五感対象(経験対象)⇒何故⇒仮説⇒検証という行動ができるかは本人がまずは、五感対象(経験対象)⇒何故⇒仮説⇒検証をしていこうという自覚と意識を持って物事を捕らえられるかにかかっているかと思います。
私は、感性とは物事を捕らえるキャパシティーの広さ、自分なりに想像(妄想もあり)できる力が豊かか否かだと思います。
あとは、それが当っているか間違っているかはセンスにもよりますが、五感対象(経験対象)⇒何故⇒仮説⇒検証の経験量や数が多ければ多いほど当っていく可能性が高められるものだと思います。
話は長くなりましたが、そんな私が2002年10月半ばに自分で選んで2年4ヶ月邁進して取り組んでいたWeb制作・マーケティングという仕事に壁を感じていました。
その壁は、私はそもそもリクルート人材センター(現リクルートエージェント)という会社を選んだのもそうなのですが、基本自分軸は「ヘルシー」「ハート」「ファミリー」が豊かに満たさせることのできる商品もしくはサービスを世の中に提供できる仕事をしたいという考えで、就職活動途中にその商品もしくはサービスが何なのか見失い、縁あってアルバイトをしていたリクルートであれば探せるのでは?という理由(他にもいくつか選んだ基準や背景はありましたが)もあり様々な会社を知れ勉強できるリクルートグループのリクルート人材センター(現リクルートエージェント)へ入社(何故リクルートではなかったのか?それはリクルートは不動産、ファイナンス、車、旅行など人材以外のサービスも展開していて、どこに配属されるかはわからなかったからです)し、さらに2000年7月にWeb制作・マーケティングが「ヘルシー」「ハート」「ファミリー」を豊かに満たさせることのできるツールであると思い、その仕事に従事したのですが、これが企業等からの各種団体からの請負での仕事なので理想の追求と現実の生活とのシーソーでバランスが自分の中でうまくとれなくなり、またマーケット的にもかなり値崩れを起していて、生産性のよくない仕事になり思い悩んでいました。
そんな中、”「ヘルシー」「ハート」「ファミリー」を豊かに満たさせることのできる” を 変えずに更に自分自身の強みや能力、したいことは何なんだろうと考えていると、”表現する” ということにたどりつきました。
そんな最中、人のめぐり合わせとは面白いもので2002年11月あたりから とある人を媒介(失礼な言いかたで恐縮です)にまたまた渡邊陽一さんと会うことになったのです。
