面白い発見をしました。
「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」 織田信長
「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」 豊臣秀吉
「嬉しやと二度さめて一眠り うき世の夢は暁の空」 徳川家康
「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば一元に帰す」 明智光秀
戦国時代を代表する織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀の辞世の句それぞれに夢という言葉が存在します。
偶然か?はたまた必然か?
ただ、いづれの夢もビジョンだったり希望といったポジティブなものではなく、就寝している時の夢、いわゆる幻想という存在として表現されていると思います。
しかも人生(世の中)は、夢だと。。。
夢という言葉には、「はかないこと」という意味もあります。
何か人生に虚しさを感じます。。。(時として確かに人生が夢幻に思える時がありますからね)
特に信長、秀吉、光秀の辞世には無念さを感じます。(家康の辞世は、別物ですが)
さて、気を改めここで素朴な疑問を抱きました。
当時の人達は、夢という言葉の意味に希望という概念はなかったのか?
なかったのであれば、いつからどうして夢という言葉に希望という概念が持たれ始めたのか?
言葉の意味が変化する(しかも社会通念として)ということは、ままある現象のようですが不思議です。
どういうメカニズムで、そういった現象が発生するのでしょうか?
そんな研究をされている学者がいたら是非話を聞いてみたいです。
やらしい話ですが、何かビジネスに活かせそうなニオイがします。
そんなことを考えていると、虚しいとかはかないとかの悲哀に浸ってなんかいられません!!
人生前向きに生きなければと、ブログを綴ってて思う今この頃です。
最後に面白い句を。
鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす
鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす
鳴かぬなら 己が鳴こう ほととぎす