先週、「営業」という仕事 というタイトルでブログを書きました。
その際に<営業パーソンのミッションは顧客の目的に貢献することだ>というコメントを記載しました。
<営業パーソンのミッションは顧客の目的に貢献することだ>
その通りです。
ただ、ビジネスというくくりでとらえた場合もう少し立体的に考える必要があると思っています。
今回は、更に掘り下げて私なりの「ビジネスの本質・意義」についてお話したいと思います。
<営業パーソンのミッションは顧客の目的に貢献することだ>
これは、私が言うには買い手と売り手の2次元での発想レベルだと考えます。
顧客の目的に貢献する
=営業パーソンは、目的到達における貢献度に応じた経済的報酬を得る
目的到達における貢献度が高ければ高いほど基本的には高い経済的報酬を得る。
だから顧客の目的に貢献する。(※「貢献し続ける」と言ってもいいかと思います。なぜなら高い経済的報酬は、モノ・サービスによっては一度きりでなくリピートとしての蓄積もあるからです。)
の構図です。
ここで考えることがあります。
顧客の目的に貢献していくことの先に何があるか?
買い手だけがよい、買い手と売り手だけがよい、ではビジネスは永続的にまわらないということは想像いただけることかと思います。
なぜか?
人は、社会(世の中、世間)で生きているからですね。
ということは、その顧客の目的に貢献していくことの先に少しでも(多ければ多いほどよい)社会をよい状態にしていくという要素が含まれているかが大事になります。
社会(世間)
買い手
売り手
ビジネスとは「売り手よし 買い手よし 世間よし」でなければならないとともに「売り手よし 買い手よし 世間よし」こそがビジネスの本質・意義であると思えませんか?
私は、心底そう思っています。
とは、いうものの いかにももっともらしく書いていますが、実は私のこの観念は私が師と仰いでいる童門冬二先生から教えていただいた近江商人の経営理念(真骨頂かつ真髄である)
"三方よし"(売り手よし 買い手よし 世間よし)
からきています。
この言葉とこの言葉へ至る近江商人の精神と歴史物語を童門先生から教えていただいた時に私は"これだ!"と心の中で膝を叩きました。
そして、今 猛烈にしたいことがあります。
それは、 <"三方よし"でビジネスができる人を一人でも多く育成したい>
です。
これは、ぺルソンの研修事業部のミッションステートメントでもあります。
"三方よし"でビジネスができる人がより多く存在したらよりよい世の中になると思いませんか?
絶対になります。
私は信じています。
だからやります、やり続けます。
これが私の講演・研修というビジネスを通じての本質・意義であり使命だと心底思っていますから
最後に童門先生の著書「人生で大切なことはすべて映画で学んだ」から是非ともみなさんに知っていただきたいセンテンスを紹介して今日のブログはおひらきとしたいと思います。
ぼくに生きる目的をはっきりと示してくれた映画
『生きる』 一九五二年・日本映画
監督/黒澤明
戦争に負けて、憲法も変わり民主主義が導入された日本では、役人と国民の関係も逆転した。つまり政治や行政の主人は国民であって、役人ではなくなった。役人に対しては"パブリック・サーバント(公僕)"の精神が必要になった。戦前から引き続き役人を務めている連中にとっては、ここで大きな意識改革が求められた。主人である国民の声を行政に生かすために地方自治体に新しく「市民課」というのが設けられた。市民の声を行政に生かすためのパイプ役として設定されたものだ。したがってここでは市民からの声(意見・苦情・不満など)を交通整理する。やらなければいけない仕事は、やるべきセクションに紹介する。この映画は、そういう新しい役所のセクションで働く人々の実態を描いたものだ。
主人公の市民課の課長・渡邊勘治を演じたのは志村喬である。部下役には藤原釜足を先頭に、左卜全・山田巳之介・田中春男・千秋実・日守新一などがいる。
それに映画初出演だった小田切みき がお茶くみのアルバイト(臨時職員)・小田切とよ役を演じた。
映画はすでにDVDになって、観た人も多いと思うので筋の詳しいことは書かない。要するに、パブリック・サーバントの先手を務めなければならない市民課の職員が、実はそうでなくて、主人である市民をたらいまわしにして責任逃れをするという話だ。
しかしその役人の責任者である志村喬が演ずる課長が、突然胃がんであることを知って、はじめていままでの役人生活を見直す。つまり、
「自分は一体、市民のためにひとつでも何かしたことがあるだろうか」
という疑問を持つ。
これがきっかけになって、彼は医者からあと三か月か半年しかもたないと宣言される。生命の残りをフルに活用して、市民から要望のあった湿地帯に小さな公園をつくりあげる。この過程では、彼自身がたらいまわしにあう。つまり、悪しき官僚主義に振り回される。が、そんな彼を心から支援し抜いたのが実は市民の群だった。そして志村課長にそういう気持ちを起こさせたのは、実を言えば正規の職員でなく、アルバイトの小田切みき(役名は小田切とよ)だった。小田切みきは、民主化された市役所のシンボルである。この課に勤め始めたときは大いに期待を持った。
「課の職員たちは必ず市民のために生きてくれるに違いない」
と思ったからだ。ところが、みんなたらいまわしに夢中になって本当に市民のことを考える役人は一人もいない。小田切みきは心の中で、
(この課の人はみんな死んでいる、生きていない)
と感ずる。そこで彼女は突然役所をやめて、町工場に就職する。町工場で小さな人形を作る。そしてある日、医者からがんを宣告されて落ち込んでいる志村課長に出会う。このとき、彼女は自分が作ったウサギの人形を見せてこう言う。
「このお人形さんをひとつ作るたびに、わたしは、どこかの赤ちゃんと仲良くなった気がするの」
ぼくがこの映画から決定的な衝撃を受けたのは、この一言である。
中 省略
小田切みきの考え方だ。小田切みきは前にも書いたように、
「せっかく作られた市民課なのだから、住民のために仕事をしてくれればわたしは喜んでお茶をいれたい。ところがこの課の人たちはみんな市民をたらいまわしにするだけで、責任逃れをしている。そんな人たちにお茶をいれるのはいやだ」
と考えて飛び出してしまう。そして町工場に入って人形を作り、ある日出会った志村喬課長に、
「このお人形さんをひとつ作るたびに、わたしは日本の赤ちゃんとまた仲良くなったと思うのよ」
と告げる。ぼくは思わず、
(これだ!)
と心の中で膝を叩いた。それは、
「ぼくたちも、このアルバイトが人形を作る喜びと同じものを仕事の中に見出さなければいけないのだ」
と悟ったのである。
国家公務員であれ地方公務員であれ、公務員は就職したときに必ず誓いの言葉を述べる。
「日本国憲法を守り、全体の奉仕者として職務に専念することを誓います」
というものだ。しかしともすればこれが口先だけのことに終わってしまう。お題目ですませてしまう。間違いだ。やはりこの誓いの言葉を実践するのが、小田切アルバイトの"人形づくり"と同じことなのだ。"全体の奉仕者"というのは漠然としている。この人だという個人を頭の中に思い浮かべるわけではない。だからこそ小田切みきも、
「日本の ど こ か の 赤ちゃんと仲良くなれる」
と言い、特定の赤ん坊を指しているわけではない。しかしこの言葉は重い。その日以来ぼくは、
「この区のだれかさんを喜ばせたい」
という気持ちを持った。その考えは、五十一歳で東京都庁を辞めるまで続く。約三十年勤めたが、一貫して、
「だれかさんを喜ばせたい」
という気持ちを心の底で持ち続けた。
