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一万円札の肖像が何故、聖徳太子と(から)福沢諭吉かを考える Christmas Eve

今年の夏から秋あたりにおいては、景気悪化が底を打ち幾分回復基調にあるという明るい話題がメディアに多く出ていたのが、11月下旬から12月に入り急に失速状況にあるというような少々しょっぱい話題が多い昨今、更には"今のままだと日本経済は2番底に陥る恐れもある"というような話題もここ数日多く見受けられます。


そんな折、お金のありがたさ、恐ろしさをいろいろ考えていたら 昔、ある講師から


「お札にはその国々、その国民に対するメッセージが大なり小なり刷り込まれている」


という話を聞いたのを思い出しました。


1万円札は、言わずと知れず日本紙幣の最高額紙幣ですが最初の肖像人物は聖徳太子(昭和33年に1万円札が発行され昭和59年の福沢諭吉へ変わるまでの26年間。ちなみに昭和33年あたり5千円札の肖像人物も聖徳太子。高額紙幣の顔ですね。)


そして昭和59年から現在は、福沢諭吉。来年はちょうど26年を迎えます。
聖徳太子の1万円札肖像人物在位年数と同じ年数になるのですね。
もう少しで福沢諭吉と聖徳太子が、肩を並べるわけです。


で、なぜゆえに日本最高額紙幣に聖徳太子が当時選ばれ、その後福沢諭吉になり、今をもってして(しばらく続くでしょう)福沢諭吉かを私なりに考えてみました。


超偉人、超文化人、日本に多くの業績を残した?
なくもないかと。


でも、私はこう思うんです。


それは、2人が持つそれぞれの根本思想と当時(昭和30年あたりと昭和58年あたり)国が日本国民に持ってもらいたかった日本人としての基本理念・精神というかアイデンティティとでもいうか が一緒だったんじゃないかと。


聖徳太子=「和をもって尊しとなす」


福沢諭吉=「一身独立、独立自尊の精神」


「和をもって尊しとなす」これは、今をもってして日本人の基本精神ですが、日本成人なら誰もが知っている言葉なので割愛するとして


「一身独立、独立自尊の精神」を福沢諭吉は 学問のすすめ でこう言っています。


「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」


「愛国の意あらん者は、官私を問わず先ず自己の独立をはかり、余力あらば他人の独立を助け成すべし」


私も今この精神が大事だと思います。
日本国の国民に対するメッセージのような気がします。
そのために何をするか? そこから自分で考え行動しなければならない時代です。


ちなみに聖徳太子に話しを戻しますが、太子は厩戸皇子が生前の名前。
母が馬小屋(厩)の前に来た時に生まれたという説は有名ですね。
イエス・キリストも馬小屋での生まれという話を聞きます。
太子とイエスには、何かしらの関係があったとかなかったとか。。。


Merry Christmas.


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2009年12月24日 16:23に投稿されたエントリーのページです。

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