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ある社長の覚悟と我慢の物語

とある昔、ある町に寂れた商店街がありました。
商店街の店主のほとんどは、親やご先祖様の恩恵で店の地代を払うことなく商売ができる人がほとんどでした。
しかし、その商店街のほぼすべての店の売り上げがジリ貧で年を追うごとに落ちてゆきます。


商店街の店主達及びその家族は、本気になって店を商店街をなんとか盛り上げようという気概はなく、真剣に考えることをせずに日々を過ごしていました。


それでもまぁまぁに家族が生きていけるがゆえに。。。


が、その店主達や家族には明るい希望はありませんでした。


そんな中、商店街のすぐ近くにとある大型量販店(仮称:Aスーパーマーケット)が1年後にできるという話が商店街に広まりました。
店主達とその家族は、異口同音に


「今の商店街の状況で、Aスーパーマーケットに出店されたらそれこそ我々の商売は上がったりだ!断固、反対運動をしよう!!」


と脅威と怒りをぶち上げて、店主達とその家族はAスーパーマーケットへの出店反対運動をおこないました。
使う頭とエネルギーの矛先を誤り。。。


そして、その運動はマスコミにも取り上げられAスーパーマーケットは情勢的に不利な状況へと追い込まれていき、Aスーパーマーケットの上役の中にも「あの町への出店は見合わせた方がよいのでは?」という意見もちらほらでるような様相になってきてしまいました。
Aスーパーマーケットの社長もこの件については、頭を悩ましていました。


「出店すべきか止めるべきか。。。」


しかし社長は出店することをある覚悟と決意のもと決断しました。


数日後のある日、Aスーパーマーケットの役員が社長に出店見合わせの相談をしたところ社長は


「あの町に出店することは、必ずあの町と近隣町のかつ商店街の人達の"ため"になる。
また我々はそういう"ため"になる状況をAスーパーマーケットを通じて実現していくことが使命だよ」


と、役員に話しました。


2年後、Aスーパーマーケットには町の人達はもとより近隣町からも買い物にやってくるお客さんが多く商売は繁盛していました。
その代り、商店街は無くなりマンション建設が着工されていました。


社長が店内を回っていると、そこには何十人もの商店街の店主だった人達やその家族が笑顔で働いていました。
テレビでもAスーパーマーケットの商売繁盛状況は取材され、その訳が多くのスタッフのたゆまぬアイディアやサービスの良さ及び社員への報酬の良さ(ESの高さ)にあると報道されました。


商店街の店主だった人達及びその家族は、生きることに希望を見出し喜びを実感する日々を過ごせるようになりました。


ただし、最後までAスーパーマーケットと衝突し他の町に一家で引っ越しAスーパーマーケットで働くのではなく、他の会社で働き以前よりも厳しい経済環境で暮らす家族も2割程はいるようです。


それから10年後、社長が店内を回っているとそこには何十人もの商店街の店主だった人達の息子さんや娘さんが笑顔で働いてました。
その中には、一家で引っ越した家族の息子さんや娘さんも働いていました。


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この話を知った時、私はリーダーには


「覚悟と我慢」


が必要だと学び全体の底上げになるのであれば迷わず決断し、断行できる人間になりました。


皆さんは、どう思いますか?


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