2月9日 日経産業新聞の「眼光紙背」での一文で
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ある食品スーパーの店頭で節分の日の夕方、売れ残りそうな恵方巻きの山を前に販売担当者は天を見上げた。
大幅な値引きをしたくても縁起物だったり、予約販売をしたりした手前、価格の変更はしづらい。
閉店時間も気になってしまう。
そのとき、現場のパート社員が発した言葉が苦境から脱するきっかけとなった。
「太巻きにして売りましょうよ」
恵方巻きのパックを解体し、恵方巻きを包丁で切り、太巻きへと早変わりさせたのだ。
恵方巻きの売れ残り危機は回避され、生まれ変わった太巻きは売り上げにも貢献できた。
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恵方巻き
※節分に食べると縁起が良いとされる一本太巻き。
大阪を中心とした風習ですが、ここ数年商業的催事として取り扱われ全国的認知度も上がっています。
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この文章を読んだ時にこのパート社員は、主婦で年齢は30歳代、小学生くらいの子供が二人くらいいて、料理のやりくりがうまい(限られた予算や冷蔵庫にある残り物材料で結構な料理を数品ちゃっちゃっと作れてしまうような)人なんじゃないかとイメージしました。
と、いうのは「太巻きにして売りましょうよ」というアイディアが出る以前に日々の料理作りの中で、似たような体験・経験をしてきたのではないかと思うんですよ。
逆に販売担当者は男性で、日々の生活において限られた条件の中でやりくり上手に料理なんか作ってきていない人だと思うんですよね。
そこで更に思ったのがアイディアの源泉は体験・経験(=知識)で、それを応用して活用できるか否かは恒常的に多面的かつ深く考え続けることで養われる思考力(=知恵)で、絶妙のタイミングでアイディアが浮かぶか否かは、その人のセンスと運なのではないかと。
では、センスと運を引き寄せるには?
今まで、どれだけの体験・経験をしてきてそのプロセスにおいてどれだけ恒常的に多面的かつ深く考えるということをし続けて生きてきたかどうかが関係するかと。
でも、担当販売者は経験の浅い人だったのですかね?
ベテランなら過去に売れると思ったものが売れないなんて経験それなりにしてきていると思うのですよ。
だとすれば、予め数日前から売れなかった場合どうするかを考えて妙案が浮かばなかったらスタッフ(パートさん含め)に「売れなかったらどうしたらいいか?」と話してアイディアを募ればよかったと思うんですよ。
もしかしたら あんまり考えて生きてこなかった人なのか。。。
いやいやそれはわかりませんが。。。でも、別の角度で考えると意外とこの販売担当者の件においては日本人気質的なものを感じるところもありまして、、、
それは何かというと、売れなかったら。。。 なんてネガティブケースな事を考え発言しようものなら周りからどう見られるかの恐れ(その食品スーパーの組織体、特に上層部がそもそもネガティブ意見を受け付けない体質ならなおのこと)や本当に売れなくなるんじゃないか?とか言葉の魔力に呪縛されリスク対策の発想がゼロになり、むしろ"絶対売れる、売れないわけがない"という過信に走る的な。
第二次世界大戦の日本ってまさにそういう状況だったかと。
また、現在においても日本人は危機管理能力が他国に比べて低いなんて言われてますね。。。
そういう意味においては、組織に属する人は、その組織の体質、風土、文化というものもアイディアが浮かぶかアウトプットできるかに影響するものかと。
ちなみに逆張り(何が逆なんだよ?って言われるかもですが、トーク発言的な流れとして聞き流してください)で考えると組織の体質、風土、文化のあり方次第ではアイディアの泉が実現できる可能性があるとも言えますね。
そういえば、ネットワーク機器のシスコは最近こんな状況を作り上げて絶好調みたいです。
でも、話は飛びますが何もかもが想定通りにいかないのが世の常。
予定調和でないところにスリリングなドラマがあり、火事場の馬鹿力があるから人間は面白い。
食品スーパーの閉店後は、販売担当者とスタッフ、パートさんで大盛り上がりの祝杯が交わされ、普段では話さないような話で更に大盛り上がりしたと思います。
こんな状況、環境もアイディアの出るメカニズムのひとつかと。
