先日、講演依頼.comエントリー講師の作家である井沢元彦さんの「幕末における黒船襲来」をテーマにした講演を拝聴して
なぜアメリカは高圧的に開港を迫ったのか?
なぜアメリカと最初に条約を結んだのにその後幕府はフランスとの関係を強めたのか?
(ちなみに薩摩、長州はイギリス、ではなぜか?)
また、明治から昭和にかけてですが、もとをたどるとなぜ日露戦争が起き、ロシアは第二次大戦後に日本人を捕虜し、シベリアで強制労働させたのか?
(これは幕末以前の大黒屋光太夫という船頭がロシアに漂流し、ロシアが光太夫を口実に日本と友好関係を築きシベリア開拓を推し進めたかったのを日本(当時の幕府)があまりにも失礼な対応をとり破談になったことに起因するというのが井沢さんの推測。因果関係まで書くと長くなるので割愛します。すみません。)
など、結果に対する井沢さん流の原因推測(上記のアメリカのなぜにおける原因推測は、話が長くなるので割愛させていただいています。すみません。)の話を聞いていたのですが、歴史の結果をひもとくと必ず ほぉー という原因があるものです。
また、意外と結果における原因の真相・本質を推測及び見極めることは、ここ数年企業研修でも注目されている論理的思考(ロジカルシンキング)にも通づるところがあるかと思います。
私も数年前、社員の論理的思考を向上させようと自我流のテキストを作ったことがあるのですが、概略は演繹法と帰納法についての実習問題とこの2つの関係性とロジックから結果における原因分析の導き方及び原因の正確度(真相・本質)が高められ、原因から結果にいたる顛末を起承転結の文章でまとめるとそれは一つの物語・ドラマになる というようなものなのですが、その中で自分なりに理屈をつけてまとめたのが以下になります。
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「原因⇒結果」という構図を描いた際、⇒は時間経緯における動詞的意味合いをもつものだと定義しましょう。
更にこの原因と結果を結び付ける⇒を因果関係と称します。
ここで、「古池や 蛙 飛び込む 水の音」を題材に「原因⇒結果」に当てはめてみると
結果:水の音がした
原因:古池と蛙が存在したから
⇒(因果関係):飛び込んだから
「原因⇒結果」の構図で説明すると
古池に蛙が 飛び込んだから 水の音がした
「原因」 「因果関係」 「結果」
更にシンプルな方式に変換すると
何が どうなって(どうして) そうなったのか
という事になるかと。
この 「何が どうなって(どうして) そうなったのか」というのは物語・ドラマ的で、ということは物語構成の基本スキームである起承転結とも言えるかと。
では、この「古池や 蛙 飛び込む 水の音」という俳句(ここであえて物語と称しましょう)を起承転結に当てはめると。。。
起:古い(と言うことから静かな)池の <物語の出だしを説明>
承:すぐ近くに一匹の蛙がいました <話を膨らませ期待を持たせる>
転:蛙が池に飛び込みました <事件の発生> クライマックス1
結:ポチャンと水の音が聞こえました <最後の結び> クライマックス2
物語的に表現すると
古い静かな池の すぐ近くに一匹の蛙がいました。
蛙が池に飛び込むとポチャンと水の音が聞こえました。
かと。
ここで、更に推察すると。。。
「その後、水面に波紋が広がり、また静寂に戻りました」と言う続きがあるのでは?
それがゆえに日本人はこの作品を 侘び寂 の世界観でとらえ300年近く経った今をもってしても日本における芸術的文学作品として語り継がれているのかと。
が、もっとも松尾芭蕉が詠ったからというのが因果関係かもしれませんが。。。
お後がよろし くないようで。。。
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少々屁理屈っぽいですかね?
でも、芥川龍之介だったか?定かではないのですが
「よい文学作品を書き上げるには数学的能力が必要だ」的なことを言っていたような。
なんとなくわかる気がしませんか?
そうそう、ちなみにビジネス社会では(ビジネス社会に限らず人生等様々なシーンにおいてもですが)結果における原因をどれだけ正確に把握できるかが最終形ではないということは、みなさんもおわかりいただけるところかと思いますが、では結果における原因を正確に把握した後に何がある(何をしなければならない)のか?
もっというと私見的にはこちらの方が原因究明以上に重要なことなのですが、それは次回に綴りたいと思います。
