"人にしてもらいたいと思うような事を為し、人からしてもらいたくないと思うような事はしない"
"黄金律"は、道徳哲学的に普遍的な教訓と言えると思います。
が、実社会における人間関係で、すべてにおいて そうか と、言われるとそうでもないような気がしませんか?
特に最近思うのですが、多様性の現代において自分のされたい事すべてが果たして他人もされたい事であるのか?
って思うところがありまして。。。
(まぁ、自分がされたくない事は人にしないというのは、極めてリスク発生が少ないので
ほぼほぼありかと思うのですが、それとても功利主義的見地に立たされた時には、対極する人に場合により為さねばならない事、時もありますが。。。)
でも、かと言って為す事に憶病になって為さなければ事は進まないわけで、人がどう思おうが、言おうが、自分が良い(ただ、世のため、人のため、自分のためになるというロジックがあるかが大事ですが)と、思った事は為して行くしかないのですが。
そこに人としての葛藤が付きまとうのですけどもね。
ただ、42年9ヶ月生きてきて思うのは
自分が良いと思って人に為した事で、結果的に(場合によりのちのちでも)その人にベネフィットを提供できたら、その人がベネフィットを感じられたらOKなんじゃないかと。
ただ、私の考えですが
どうも知的レベルの高い人であればあるほどベネフィットは経済的(金銭・物質)利益だけではだめな様で、それ以外の、、、例えば精神的心理的な便益をいかに感じてもらえるか というのも大事で、これは人(相手)を観て察し、為し方とタイミングが肝要な気がしています。
ただ、これが難しいですね。
(これが全てに為せる人は、人(人生)の達人の域に達している人だと思ってしまいます。)
これが人に為す事、全てにできたら自分は幸せでしょうね。
でも、ちょっと考えると幸せって自分がそう思えるかどうかですね。
そもそも 幸せ って漢字
もともとは「手かせ」(手錠のカタチ)からきた象形文字のようで、古代 刑罰が重かった(軽罪にも関らず死刑みたいな)中、手かせの罰で済んで(死刑にならなくて)よかったぁー⇒運が良かったぁー的な意味が転じて しあわせ って読み言葉になったみたいですからね。
まさに考えようだと思いませんか?
ちなみに 幸 の逆は何だ?
と、問われたら何と答えますか?
?
?
?
私は、幸 ですね。
(紙に 幸 と書いて逆(180度回転させて)にしてください。)
私の 幸せの"黄金律" は 自分の考えよう ですね。
為せば成る
為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
(上杉鷹山)
為すは人、成すは天 です。
