« 2011年6月 | メイン | 2011年8月 »

2011年7月 アーカイブ

2011年7月15日

それぞれの使命と役割

リクルートエージェント在籍時代にお世話になった先輩(現在 物語的経営支援 という事業をコアとした株式会社クロスロード代表取締役社長 辻口寛一さん)が定期発信しているメルマガを読んでふと思い出した事がありブログしています。


====================================

【辻口さんからのメルマガ】


みなさんは、「釈迦、孔子、キリスト、ソクラテスの共通点」をご存知ですか?


実は、四人とも「自らの思想を書き残していない」のです。


それなのに、彼らの思想が広く後世に伝わったのは、なぜでしょう?


もちろん、「彼らの思想が優れていたから」。


そしてもう一つ、「彼らの思想を書き留めたものがあった」ということも、大切な要素ですよね。


どんなに優れた思想も、書き留められなければ残らない。


====================================


伝えることに卓越した人が別にいた という事実もあるなぁ。


室町時代中期から現在にかけて日本最大の宗教団体 浄土真宗 の宗祖・親鸞の教えを世に広めた天才的プロモーター蓮如がそれです。


でも、私の知るところではその布教活動は日々民衆にわかりやすい説法をしていたというだけではなく27人の子供(5回結婚をしているんですが)のほとんどを息子は重要拠点寺に派遣したり娘は有力寺院に嫁がせるという戦国大名なみな政治的工作もあったようです。
(が、ゆえに信者をとられる他宗派から相当攻撃されたらしいです。当時の僧侶は武装集団的要素を多分に含んでいましたから攻撃も心理戦でなく武力そのものだったと思います。)
もっとも人間として俗を許容し、聖人というよりも民衆よりの人だったようなので大衆からは当時、みなさんもよくご存じの一休さんと共に抜群の人気があったようです。


それも含めてプロモーションの天才なのですが、でも親鸞にはなぜそれができなかったのか?


その能力がなかったのか?
自分の得手不得手を心得ていたのか? 
それとも思想をより至上のものにするために全精力を費やしたからか?


また逆に蓮如は、浄土真宗(親鸞の教え)という存在がなかった場合でも同じような(日本最大級の何か)状況環境を作れたのか?


わかりませんね。。。


ただ、僕が思うのは生まれながらに親鸞も蓮如も神から与えられた的なそれぞれの使命と役割(宿命)だったのかと。


蓮如は、親鸞の10世代後の孫 ってところが何か因縁深さを感じてしまいます。


About 2011年7月

2011年7月にブログ「鈴木勝彦的、人生見聞思候」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2011年6月です。

次のアーカイブは2011年8月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type