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大人の定義

長年、弊社と懇意にして頂いている講師で、木村政雄さん(元 吉本興業株式会社常務取締役、現 木村政雄の事務所代表兼フリープロデューサー)がいらっしゃいます。


その木村さんが編集長として月刊で発行している「5L(ファイブエル)」という雑誌がありまして、毎月木村さんがインタビューアーとして、文化人、芸能人、アスリート等にインタビューするコーナーがあるのですが、11号のインタビューで出演されていた内田 樹(うちだ たつる)さん(2009年に出版された「日本辺境論」が話題になった現在 神戸女学院大学名誉教授・武道家・思想家)が、言っていた「大人の定義」に共感したので、紹介させて頂きます。


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<木村>
内田先生の定義する大人とは、一体どういうものなのですか?


<内田>
汚れていたり、弱かったり、卑劣だったり、卑猥だったりーー


そういう部分をたくさん抱え込んでいて、それでも何とか折り合いをつけてやっている人たち。汚れていることを市民としての欠格であると思わない人たち、ということでしょうか。自分の中にある汚さや弱さを許せない人がいますよね。こういう人たちは、どうしても他人に対しても非寛容になる。結果的にそれは、外国人や障害者に対する差別、すべての人間はピュアで健全であるべきだという考え方に繋がっていきす。     


"こども"はそういう意味で危険な存在です。
大人というのは、集団からできるだけ脱落者や犠牲者が出ないように、力のあるものは力を出し、知恵のあるものは知恵を出して、気分よく共生するかたちをつくることができる人のことだと思います。


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私的に非常に納得、そう思えるコメントです。
(「いい事をうまく言う方だなぁー」と、久々に感銘を受けました)


特に「大人というのは、集団からできるだけ脱落者や犠牲者が出ないように、力のあるものは力を出し、知恵のあるものは知恵を出して、気分よく共生するかたちをつくる」というコメントは、相当奥が深いと思います。


なぜなら上記になることで、物質的にはあきらかに人間関係が平等じゃいられなくなるからです。
(そもそも平等というものは、人間の理想の世界観もしくは精神的な世界観のような気がしていて現実社会では、実在しないものだと僕は考えています。             
でもそこに何かわだかまりというか無常さを感じてしまうのですが、、、
それでも何とか折り合いをつけてますけど。。。)


では、どうすることが必要か? 


僕は、公平 と各々が思えるかたちも合わせてつくることが肝要だと思います。
(何か、内田さんがいっている「気分よく共生するかたち」とは、そういう事も含んでいるような気がしています。)


ただし、集団の人数が増えれば増える毎に公平の基準というか物差しを個々人とあわせることが、どんどん困難になりますね。
誰もが満足できる公平というものを作るってかなり至難の業だと思います。
なので、時としてこっちにあっちに折り合いをつけていかざるえない状況が発生する側面もあるかと思います。
あと、公平の仕組みって永遠ではないので時代の変化とともに変化させないといけないものだと思っています。


話は飛びますが、その辺りは徳川家康の人間社会及び国の仕組み作り(これにおいては、やはり徳川家康という人は天才、偉大ですね。古今東西、天下泰平な世の中を270年も継続できた仕組みを構築した人は家康以外存在しないのではないかと思います)と、それをひっくり返した幕末の志士の思想感を知れば、わかるかと思います。


祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ


感慨深いです。。。


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2011年11月22日 15:10に投稿されたエントリーのページです。

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