青臭いかもしれませんが、雲ひとつない空を見上げていたら、希望という字が浮かんできました。
季節に逆らうように吹く温かい風が、環境異変かと少し気になるところですが、まあやはり晴天は気持ちがよいものです。
数ヶ月前のブログでも書かせていただいたことなのですが、いま司馬遼太郎先生の長編「翔ぶが如く」をゆっくりと読んでいます。
私は本を読む場合、ビジネス書やノウハウ本は速読なのですが、小説類はあえて遅読としています。
なぜならば小説は一行一行味わいながら、またとても気なる一行に巡り会った時などは、読書を一瞬停止し、その一行に思いを寄せたりしたいからです。
翔ぶが如くは、明治という時代、大久保利通や西郷隆盛といった偉人たちをじっくりと感じてみたいので、いつも以上に遅読を試みています。
このように読んでいると、明治という時代の風や偉人たちの息吹が、身体に沁み込んで来るようでなんとも贅沢な気分になります。
こんな贅沢な気分を味わいながら、ふとっ思ったことがありました。
明治という時代はどうしてこんなにも人間が熱いなのであろう?
維新を終えたばかりで、国の財政としては決して、楽なわけではないはずです。
もちろん長短はありますが、しかし現代よりも断然人間が活きているように感じて
なりません。
ここ最近ブログでよく書かせていただいていることなのですが、明治という時代には
希望や夢、ビジョンといったものがあったからではないでしょうか。
現在、日本政府では給付金のような一時的な処置のみが施されようとしています。
これは決して悪いことではなく、むしろ嬉しいことなのですが、どうしても我々は熱くなれ
ません。
それは明治時代のように明確なビジョンの提案が、成されないからではないでしょうか。
一時的な給付金がなくとも一年後の明確なビジョンを国が与えてくれたら、どんなに
心が活きてくることでしょう。
場合によっては給付金分ぐらいを税金に当ててもらっても、希望をもらった方が良い場合
もあるのです。
いま希望が必要だと思います。