― 2007年の日記 ―――――

 12/20 たった一つの果実が色付く

今年の収穫は全く期待していなかった果実の木なかで、
ミカンだけが、たった一つ実を付けて美味しそうな色になりました。

さて、いつ食べようかと考えているところです。
暫く眺めていたい気持ちもあるし、カラスに食べられたら、それは又悔しいし。
腐らせてももったいないし。と一つしかないミカンとにらめっこしているところです。
沢山実を付けたら考えもしないことだなぁ。と思いつつの日記である。



 12/18 ホノルルマラソンを完走!


四回目の完走をして無事に帰国しました!

今年は痛風も出なかったし、体調も良く、初の五時間代を目指して、
まだ暗い空に打ち上げられた花火を合図にスタートしました!

五分ほどしたら、それまでは降ったり止んだりしていた雨が一変して、
バケツをひっくり返したような、強烈なシャワーが歓迎してくれた。

十五分続いた雨は、過去二十二回連続で出場している人が、
こんな事は初めてだ、と言っていました。
そんな事もあって、前半を慎重に走ったこともあり、
タイムは思うようには伸びなかった。

でも自己ベストでゴールすることができて、次回は必ず五時間代を出す!
と心に誓った!日々の努力以上のものは出ないのだ!
この事を忘れずにトレーニングを積んで行きたい。



 12/9 悪夢のようなあの日から一年



四回目のホノルルマラソン挑戦です!
今年は痛風も大丈夫そうだし、
地道なトレーニングも過去三回よりは頑張ったつもりだ。

後は当日のコンディションと持病の膝の痛みがいつ出てくるかだ。
日本時間の9日朝5時スタート!
目標タイム、5時間59分59秒を目指して頑張ってきます!


 12/5 紅葉とミッドタウン。

紅葉とミッドタウン

血液検査の結果、尿酸値が去年より高いと出た。
しかし、薬を飲むほどではない。と医者は言う。
またマラソンの後に突発的に痛風が出る可能性もあるので、
尿酸値を下げる薬を出してもらった。

今回も痛風が出たら、今後マラソンはやらない覚悟だ。
最後かもしれないホノルルマラソンに明日(6日)出発!



 12/4 東京・檜町公園

東京・檜町公園

都心にも、ようやく寒さが訪れて、あちこちで紅葉が楽しめるようになりました。
いつも散歩をしたり、ジョギングをしている公園です。
朝日に照らされた紅葉があまりに綺麗だったので、携帯電話のカメラでパチリ。
アングルを変えて何枚か撮影した内の一枚です。

美しく色づいた葉が散り終えると、本格的な冬の到来かと思いつつ、
迫り来るホノルルマラソンに向けてトレーニングをする朝のひと時であった。


 12/3 神奈川大学外国語学部での講演


国際文化交流学科の生徒、先生、そして一般の方々の参加者でした。
このような科があるのは知りませんでしたね。

世界を知り、日本を知って、日本文化を発信しながら、
世界の人たちと交流できる能力を身につけることを目指している学科です。

自分ごとき一介の役者なんてどれだけ世の為になっているのか、疑問が大であるが、
学生の使命は大きいと感じた。

日本の為、世界の為に、
強い身体と強い意思をもって頑張って欲しいと思いつつの講演であった。


 11/26 千葉市立花園中学校での記念講演

創立60周年記念講演会があった。
在校生約900人から熱いメッセージをいただいた。

「日本を代表するナレーターとして活躍してください」
「ちびまる子ちゃんをできるだけ続けてください」
「頑張ってください!ファイト!」等々。

質問も全員から「夢や希望を実現するには何を大切にすればいいのか?」
「辛いこと、嫌なことがあったときどうやって乗り越えましたか?」
「進路をどうやって決めてきたか?」「社会の厳しさが知りたい」とか
「緊張をほぐすためにどんな方法がありますか?」「声優になるには」等々。

驚いたことは、皆とてもマナーが良いことだ。今どき珍しいことです。
部活も活発で強いとか。
大変好感が持てたし、楽しい講演をすることができました。


 11/2 白鴎大学で講演


東京駅から小山駅まで、新幹線で約四十分。
そして、タクシーで五分の所に大学はあります。

校舎からは思川が見渡せて、その堤防には桜並木があり、
きっと春には素晴らしい景色を見せてくれるに違いありません。

゛思ざくら゛といって開花時期が1ヶ月ほど遅いとか・・・。
大学祭は台風二十号の影響を受けて大変でしたが、
雨具を着て交通整理をしたり、
模擬店で焼きそば作ったり元気な声を出していました。

学生、職員、近隣の方々二百人ほどの聴衆です。
質問コーナーでは沢山の質問も飛び出し、
終始和やかな雰囲気の中、私が使用した
『ちびまる子ちゃん』の台本争奪ジャンケン大会などで盛り上がって終了。

ここで白鴎大学の創設者でもある、
上岡一嘉初代学長が掲げたスローガンを紹介します。
プルス・ウルトラ「PLUS ULTRA」ラテン語で「さらに向こうへ」という意味で、
スペイン人の飽くなき好奇心を示すものだそうです。

知らない学生さんが多いと聞いて、ちょっともったいな気がする、のであった。


キートン山田 講演会


 10/31 ミカンがひとつ


ミカンがひとつ

今年の早春に植樹した、十本程の果物の木に一個だけ実がなりました。
木の背丈は約七十センチだけど頑張ってます。

まだ青い実が、やがて黄色くなるのを楽しみにしながら
眺めている今日この頃です。
来年は肥料を与えつつ沢山実るよう励まし、
面倒をみることにしょうと思うのであります。


 10/29 信州大学での講演会

三年生を中心にした就職活動セミナーの日であった。
男子は皆、慣れないスーツにネクタイです。

企業各社の説明会に参加して、

講演会に参加する学生さんが多かったと思う。


初々しく、そして皆真剣であった。
メモをとっている人が多く見受けられて、 つい話に力が入ったような気がする。


話ながら、近頃は庶民を騙したり、
世の中を騙したりする頭の良い、悪い大人が目に余るので、
どうか磨いた英知を世の為、人の為に使ってほしいと思いつつの講演であった。


母校の誇りを胸に頑張って頂きたいと思うばかりです。

信州大学での講演会


 10/26 愛媛県松山市での講演会

愛媛児童福祉施設連合会が年一回行う、手をつなごうふれあい会でした。
県内には14の施設があり、幼児から18歳の約500名と職員、
関係者が一堂に会しての催しです。

今年で第50回目。
戦争孤児の為に作られた施設であるが、
今は親がいるのに家庭の事情で預けられる子供の方が多いと聞いて驚いた。
これが今の日本なのだ。

国が関与している施設は僅か数ヵ所とか。
職員の方々のご苦労に頭が下がるとともに、
一生懸命な姿に接すると尊敬してしまいます。

子供たちは、思っていた以上に明るく元気に歌を唄ったり、
楽器を演奏したりしているのを見て、少しホッとしました。

そこで紙芝居をやりました。
大写しした画面を真剣に観ていたし、
しっかりとした拍手はとても気持ちが良かった!

来て良かった!と思う講演であった。



 10/25 マイ・バースデー


マイ・バースデー

二日早い、10月23日に劇団のメンバーが中心になって
赤坂の某所でお祝いをして下さった。

二次会まで盛り上がって飲み過ぎである。
ここ二年位で急に弱くなかったので、
酒量を考えながら飲むようになったのだけど、
仲間と飲むとついつい進んでしまう酒飲みなのだ。

十八人でも食べきれない大きなケーキを用意下さったのだけれど、
描かれた私の似顔絵が、ちびまる子ちゃんの友蔵じいさんを通り越して、
はまじのじいさんに超!ソックリでムッと致しました。
しかも首から顔にかけて思いっきりナイフが入っていて…嬉しかったです。

皆お金も無いのにバカラの素敵なグラス等々プレゼントして頂きました。
本当にありがたいものです。
来年はもっと期待してみようかな、
と心の中で思うのであった。



 10/25 お江戸粋いき!(TBS )最終収録

四年間続いた、江戸文化とそれを今に伝える、
粋な職人たちと、粋な作品を短時間で紹介する番組でした。

ちょいと江戸弁風なナレーションで非常に気に入っていたんですが、
残念ながら最終回を迎えました。

日本の文化は日本人の手で残さなければ必ず滅びてしまいます。
まずは、その文化を知ることから始めなければならない。

そう言う意味でも貴重な番組が終了してしまいます。

学んだことは、粋に生きるのは、なかなか難しいと言うことだね。
頑固だけでも、優しいだけでもいけねぇ。

常に前を向いて弱音を吐かねぇってことだね。勉強になりやした!
ヨッ!お江戸!また会えらぁな!

お江戸粋いき!


 10/11 伊那中央病院での講演会

伊那中央病院での講演会

新宿駅から約四時間かかって伊那市に到着。
車で5分程の小高いところに、その病院はありました。

まるでホテルのような雰囲気で、
院内も明るく各病室も窓が大きて解放感があります。

そして免震構造になっていて、災害拠点指定病院なんです。
また、どの部屋からも望める眺望が素晴らしく、
都会では考えられない環境でした。

受講者は患者さん、職員、地域の方々と様々でしたが、
患者さんが声を出して笑っているのを見ながら話していると、
少しは良い事をしているかなと、
喜びを感じながら話を進めることが出来た講演会でした。


 10/5  月曜大工の作品

月曜大工の作品

小学生の頃からノコギリやトンカチを使いこなして、
トラックのおもちゃ、雪そり、木琴(勿論音階はめちゃくちゃ)等を作って
先生に褒められていました。

大人になってからは、犬小屋とか椅子を作ったりしていましたが、
この度は台所の収納棚を作ってみました。

根が好きものですから、やりだすと止まりません。
一気に三個も作っちゃいました。奥さんに褒められました。

が、もう一つ注文されてしまいました。
それはまたそのうちにということで・・・。

無垢の木はいいね、木材を見ているといろんな物を作りたくなるんです。
工具もいろんなのがあって楽しくなってしまうのである。


 9/20 世界一海に近いプール
 
世界一海に近いプール

家の近くにそのプールはあります。海水をそのまま使用しています。
幼児から小学生までなら最高の海水浴が出来ます。

施設もきれいだし、駐車場も1日千円。
しかし食べ物は何処も一緒で高いです。

そこで弁当を持って1日楽しもう!って訳で孫たちを連れて行きました。
宝探しがあって、オモチャなどを貰って、海水浴を満喫していました。

この夏最後の海を名残惜しそうに眺めていた孫たちであった。



 9/19 孫二人がスタジオ見学

朝6時起きして、
ラジオの生放送J-WAVE(パーソナリティー 別所哲也さん)に連れて行った。
六本木ヒルズの33階なので、まずその高さにビックリしたようだ。

その二人と4年前に歌った「まっすぐの煙」を放送で流して貰っての感想は
「今ならもっと上手に歌える」だった。

その後、ナレーションのスタジオに行き、午後から伊豆の家に連れてくる。
一年に3度位しか会えないのが現実で、
こちらから会うチャンスを作らないと実現しないのだ。

孫1号は来年中学生。
孫が5人いるとジイさん業もなかなか大変である。



 8/30 ミニトマトの最盛期


ミニトマトの最盛期

天気が良すぎて水分が不足しているけど、
トマトの色づきが早いのなんの、
何日か家を空けると熟れ過ぎて落ちてしまう。

さすがにカラスも追い付かない早さで収穫が出来て
嬉しい楽しいこの頃です。

来年はもっと勉強して、
野菜を買わなくてもいい位にしょうと言う意欲に駆られている。

気が早いようだが土作りは今からやらねばと、
楽しみは一年中って感じである。


 8/23 小さな実り

小さな実り


何も面倒をみないのにカボチャは育った。
ただ食べてしまうのも感動が少ないので、
カボチャの表面に釘で孫の名前と誕生日を書いた。

一週間後に家に帰って見てみるとくっきり文字が浮かび上がっていた。
孫五人分が出来上がり、早速二人の孫に送った。

電話の向こうでの感動と興奮を感じ取る事が出来た。
もったいないから、まだ食べないと言っていた。
残りも随時送っていく、反応を楽しみながら。

因みに写真のカボチャには、キートンと書いた。



 8/16 ふるさと自 (その2)


ふるさと自慢


醤油でもなく、漁醤でもなく「鶏醤(けいしょう)」 なのだ。

天然アミノ酸豊富な、無添加、
非加熱の生きている発酵風味調味料なのだ。

うすめかた次第で和風にも、中華にも、
洋風料理にもバッチリという、全く新しい発酵調味料なのだ。

ただ値段が醤油の何倍かする。
我が家では醤油や麺つゆがわりに 「三笠の鶏醤」を使っている。
北海道でなら手に入る、一度お試しあれ!



 8/13 ふるさと自慢(その1)


キートン山田 ふるさと自慢

名前は無名だけど味は一級品のワインがある。
一流シェフのお墨付きでもある、そのワインは「山崎ワイン」。

北海道三笠市の丘の上に葡萄畑があり、
その中に「山崎ワイナリー」がある。

ログハウスの宿泊施設もあり、夏は外でバーベキュー、
冬は雪原の中に沈み行く夕陽を眺めながら、ゆっくり味わうワイン。

どちらも素晴らしく、そこで生まれた葡萄がその場所で造られ、熟成されている。
葡萄畑を眺めながら飲んでいると味は更に深み増して来るものだ。

つまみは北海道の旨いハムかチーズがあれば充分である。



 8/3 劇団のアトリエでトークショー


キートン山田 劇団トークショー

下町の我が劇団のアトリエで、初の試みとして、
コントと生アテレコをやり、そしてトークの二時間弱。

無言コント、アメリカの西部劇に関西弁でアテレコしたり、
他では観る事の出来ない内容であったと思う。
劇団員が皆で手伝ってくれたので四回公演を打つ事が出来た。

下町の小さな劇場でいろんな出し物をもって
地元の方々に楽しんで頂きたい、
気軽に足を運んで頂ける場所にしたい、
という思いで第一歩を踏み出す事が出来たと思う。

若者も後に続いて欲しい、むしろ先に立って、
いろんな試みをしてほしいと強く思う。

待っているのではなく、
自ら何か事を起す積極性がなければ
間に合わないのである。

さあ、次は誰だ?



 7/27 酒自慢。三升入のカメ。


キートン山田久米仙を飲む


泡盛は、南方硬質米に沖縄独特の黒麹菌を加え、
蒸留して作る100%天然醸造の酒である。

長期熟成するほどに豊かな風味とまろみが増すのだそうだ。
古酒(クース)は3年以上かけて熟成した高級な泡盛だ。

何十年という時を経た家伝の古酒は(金庫の鍵は預けても、
酒蔵の鍵は離さない)と言われるほど、昔から珍重されてきたそうな。

「久米島の久米仙」は頑なに500年来の伝統手法を守り、
素焼きの大ガメにじっくりと寝かせて
芳醇な高級酒として古酒を育ているのだとか。

送って下さった、プラチナフォトン久米島の皆さんお元気でしょうか?
ありがとうございました!まだ封を切っていません。

何かの記念日にじっくりと味わいたいと考えています。
泡盛にすっかりハマってしまったのである。


 7/14 初めての紙芝居 講演





本日、某建築関連の会社で講演があり、
初めて、講話の中に紙芝居を盛り込んで60分講演を行った。

聴講者には大人の中に小学生が二人しかいなかったのでちょっと残念だったけど、
前方スクリーンに写し出される紙芝居の映像は迫力があり、
大人も懐かしい気持ちと、どこか新鮮ものを感じたのではないかと思う。

これからも機会があれば、数ある紙芝居を盛り込んだ講演をやって行きたいと思う。

キートン流にアレンジを加えつつ。
小さな子供たちに「読み聞かせ」をしてあげることは
「大切な教育である」と専門家が言っているのである。


 7/3 ど根性ジャガイモ





見事なジャガイモが採れた。

しかし、これは思わぬ産物なのである。
実はこのジャガイモは種芋を植えた訳ではないのだ。
他の野菜の種を植える前に、肥料として生ごみを土に混ぜたのだ。
その中にジャガイモの皮が入っていたのだ。

他の野菜たちと同時に芽が出て来たのだけれど、
一種類だけ列を作らず、他の野菜を邪魔するかのように、
あっちこっちに顔を出して来たのだ。
やがてジャガイモの葉っぱだと分かり、ほったらかしにした。
そして白い花が咲き伸び伸びと育った。

別に芋は採れなくてもいいかと思いつつも、
掘ってみたら写真にあるとおり立派な物が。
梅雨は嫌だけど作物のこ とを考えると、やっぱり雨が降って欲しいと思うのである。


 6/19 リマックス10周年記念ライブ!

7月21日22日、東京のヤクルトホールにて開催!
詳しくは、リマックスのホームページを御覧頂きたい。

その内容は 老若男女が入り乱れての、お芝居あり、歌ありのステージ。
その芝居の稽古がようやくはじまり、演出の自分も役者も模索中。

面白い役者につられてノリノリで弾けてもらいたいと思っている。

とにもかくにも楽しんでもらいたい一心で稽古を重ねて行きます!
どうか会場にお運び下さいますようお願い申し上げます!


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●リマックス10周年記念イベント●
「リマックス流 浦島太郎」

日時:2007.7.21(土)、2007.7.22(日)
場所:ヤクルトホール(東京都港区東新橋1-1-19)
料金:5000円(全席指定/税・送料込み)

≪チケット取り扱い≫
リマックスホームページ
・アニメメイト 渋谷店、横浜店、吉祥寺店、町田店、大宮店
・ローソンチケット

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 6/13 今年の収穫第一弾

今年の収穫野菜など byキートン山田

人様に分かって貰いにくい程大変だった畑作りではありましたけど、
嬉しいことに写真でお見せする野菜たちがすくすくと育ってくれている。
大地と太陽と雨に感謝をする毎日である、勿論、種たちにも。

ひとつ発見したのが、ニンジンの葉っぱが美味しいということ。
お浸しでも、サッと塩胡椒で炒めてもオッケーです。

何はともあれ、いろんな思いが味に含まれているので、食が愉しくなる。
第二弾はどうなるのか、楽しみである。


 5/30 沖縄・久米島の旅(その3)

翌日、目的地も知らされぬまま船で沖に繰り出した。



何やら漁をしている船に接近した。

それは、もずく漁だ。1人は海底でもずくを刈り取り海水と共に船上に吸い上げ、
もう1人が丁寧に選別をしている地道な手作業。
飲み屋では必ず注文するくらい大好きな芽かぶ、もずく。
我家の食卓にも必ず上る好物を目の前にして食べない手はない。

早速、採りたてを食べてみた。
それは太くて、柔らかく、程よい歯応えがあり、これが本物の味かと感動した。
今まで食べていたのは養殖の物であることを知った。
今後スーパーでもずくを買うことはないだろう。

久米島・キートン山田

午後から再びグラスボートで綺麗な海底を楽しみながら小さな離れ小島に渡った。
そこは、干潮時にしか行けない島で、全体が白砂の遊び場だ。
夏は海水浴やマリンスポーツで1日中過ごせる最高!のリゾート地。

漁港に戻って釣りをしていたら漁船が入港してきた。
魚はシーラ、それを一本頂いた。

ふと気が付けば、1人の少年が見事な包丁さばきで、あっという間に、
きれいに解体し何も言わないまま、ひらりと自転車にまたがり遊びに行った。
聞けば小学6年生。またびっくり!すごい子供がいるものだ。

夜はまたまた奥様の実家(宮城宅)でシーラの刺身を肴に楽しい宴が、
そこに登場したのが昼間、もずく漁をしていた二人。新顔も加わり気が付けば夜中。
こうして2日目は終わった。


久米島・キートン山田


 5/15 結婚式で生ナレーション
前回の日記「沖縄・久米島の旅 その2」では「つづく。」と書いたが、
ここでちょっと休憩。姪の結婚式について書こうと思う。

札幌で、妹夫婦の一人娘(愛)が結婚式を挙げた。
新婦がピアノの先生をしていることもあり、
一般的な式では乾杯のご発声の後BGMが流れるところ、
生ピアノと生歌で祝杯を盛り上げる。

また花嫁のピアノと先輩のビオラの合奏が入り、ちょっと高貴な雰囲気の中、
新郎・新婦「裕之&愛の生まれからこれまで」をスライドで綴り披露した。
そして、新婚二人が作ったナレーション原稿を、
キートン山田が生でしゃべったのである。
少しだけアドリブを加えつつ。

〆は当然「披露宴はまだまだ後半へつづく」。
結構盛り上がった。
 


やがてクライマックスだ。
両親への感謝の手紙を花嫁が読み始めたら、
やはり父は泣いた。
気が付けば自分も一緒に泣いていた。

終始和やかで楽しいパーティーであった。
そして、新しい夫婦は
オーストラリアのケアンズに旅立ったのである。



 5/2 沖縄・久米島の旅(その2)
そして焼酎の王様泡盛。
その製造販売場「久米仙の酒蔵」を見学し、
一升瓶にして百本も入っている陶器のかめが、
3年、5年、10年先の出番を待ってじっくり熟成している部屋にいると
言葉にならない感動を感じた。

1人で飲んだら何年かかるだろうか、飲んべえが考えることはこんなものだ。

やがて大小の瓶に入り、世界の焼酎好きの元へと旅立って行くのだ。
一晩でいいから一緒に寝て自分も熟成したいものだ…なんて思いながら、
数え切れない「かめ」の行列を眺めていた。

やはり、旨い湧水の出る場所に工場があり、老舗であった。
社長さんからお土産まで頂いたり記念写真を撮ったり盛り上がった。
ありがとうございました。

また海洋深層水を利用した化粧品の製造工場も見学。
海洋深層水を利用した施設も充実していてリラックスすることが出来た。

夜はプラチナフォトン(株)会長夫人の実家で酒盛りが始まった。
近所に住む兄弟親戚が三々五々集まってくる。
少なくとも10人は集まるそうだが、子供たちも含め20人以上になり、
いつの間にか三線の演奏が始まり、
飾らないもてなしで宴は延々と続いて、久米島は更けていった。



つづく。


 4/26 沖縄・久米島の旅(その1 )
プラチナフォトン(株)の会長ご夫妻のお招きで、
我々夫婦は初めて久米島に渡った。
今年は特にプロ野球・楽天イーグルスのキャンプインで話題になり、
期待を高めての旅であった。

会長の兄で、私の親友でもある同級生のイサッコ(勇)君も同行して、
賑やかで楽しい三日間であった。

新しい体験の連絡で想像を遥かに越えた。

久米島の第一印象は、ここはハワイ?バリ島?
空の色、海の色、緑深さ、赤い土、まさに異国。
早速、島内巡り、何しろ会長の奥様の実家がある久米島、
運転は奥様の妹の愛子さん。
滞りのない案内でスタートした。

まずは移動の途中で遭遇したのがカジキマグロの解体。
140キロ級が水揚げされ、その場で捌いていた。
見物していた我々に「食べますか?」。
あっという間に刺身になり、まだ「肉が動いている」という、
生マグロを食べることができた。
歯ごたえがあり、スルっとは飲み込めない、そして甘味がある。
皆さん人柄が良くて、後味も最高!の一時であった。

久米島の旅は、まだまだ続く。


 4/6 倉橋ルイ子ライブ
バラードの歌姫・倉橋ルイ子のライブに行って来た。(3年ぶり)
彼女とは同郷で、北海道三笠市の同じ山を、空を見ていた。

ライブはトークを交えながら、たっぷり17曲。
ファンは皆さん酔いしれていた。

その中に、ルイ子さんのお母さんも静かに、うつむき加減で聴いていた。
お客様が拍手をするたび、軽く会釈する、母を見た。
結局一度も拍手はしなかった。

実はお母さん、氷川きよしの大ファンなのである!
開演前に最近はどうですか?と聞いてみたら、
数日前に氷川きよしのショ-に行って来ました。
と満面の笑顔で恥ずかしそうに語っていた。そんな可愛いお母さんだ。
話がライブから離れてしまったけど、まぁいっか。


 4/5 今年初の筍堀り

桜が終わり、ツンと顔を出した筍を見つけた。
大小8本の収穫だ。
早速、糠で灰汁抜きをして煮物に、明日は筍ご飯か。

何も世話をしなくても
毎年決った季節に恵みを与えてくれる筍に感謝しながら食した。

しかし2~3日留守にすると、
もう食べられない大きさになるので油断ならねぇ奴だ!
なんて思ったりもした、のである。


 4/4 5ヶ月ぶりに孫五人が大集合

伊豆の新しい家に皆が初めて遊びに来た。

桜がちょうど満開で、天気にも恵まれ、
家の中も満開の賑やかさで、日頃の静寂は吹っ飛んで何処へやら。
二泊するも、あっという間に時は過ぎ、春の嵐は通り過ぎた。
その後の静けさは寂しくなるほどである。

いつも思うのは、「あと何回あるんだろう、こんなことが…」である。
予想通りだったのは、やっぱり障子を破かれたこと。
それは到着して間もなくだった。

障子の無い家に住んでいる子どもが多い昨今、
貴重な体験かもしれない。
記念にそのまま残しておくことにした。のである。


 3/29 TV電話を使い始める。

携帯電話を二年ぶりに機種変更した。
TV電話ができることに気付き使ってみた。

自分の顔も相手の顔もかなり変形するので笑える。
身内だけで使うに限る、そう思った。

話は変わるが畑の開拓は本日完了した。
あとはどんな野菜を植えるかだ。
肥料、種、植木、花等々を売っている店は人でいっぱいであった。
春を感じる。
季節は動き出したんだなぁ。実り時期が楽しみだ。


 3/14 伊豆高原の天然水

天然水生活6ケ月。
料理、飲み水は全て天然水を使っている。

汲み取る場所は、我が家から車で10分の所。
地元人の話によると地主が温泉を掘ろうとしたら、ナント水が吹き出したとのこと。
それが飲料水に適していることが口コミで拡がり、
他県からも車で来る人に時々出会う。

コーヒーがおいしい、勿論、氷を作り水割りも旨い!
だから痛風が、なかなか治らない。

あとは家庭菜園が間に合えば、更に食が楽しくなるのだが、
畑の土作りが思うようには進まない。
地盤は良いが、石が多いので畑には適していないのだ。

しかし、夢を叶えるためには何年かかろうとも、コツコツと開拓をしている。
耕しては石を拾い捨てる。
この繰り返しで思うことは、日本人がかつて外国に移民して、
大変な苦労をされたこと。

キュウリやトマトを思い浮かべながら頑張っている今日この頃である。。



 3/13 講演会の思い出

3月10日、福島県の磐梯青少年交流の家で講演会があった。
施設に到着して、いきなり感動した。
前には猪苗代湖を見下ろし、そして雪山が重なっている。
もし自分に絵心があって描けるとしたら絶対に絵筆を持ちたい景色だ。

建物の中に案内されて、又びっくり!
後ろには、有名な磐梯山を丸ごと仰ぐことが出来るではないか。
真っ白な磐梯山、綺麗だった。

参加者は中学生、高校生が中心で、講演の後半は
座談会形式で数人の学生さんと社会人が壇上に上がり語り合った。
皆さん純粋で、楽しく実のある時間はあっという間に過ぎ去った。

その時、磐梯山の話も出て、私は登る約束をしてしまった、
まあ、約1800メートルだし、二度も富士山を登頂しているので大丈夫だろう。
実現して磐梯山の表と裏を見てみたい、天気次第だが。
頂上で思わず「バンダーイ」なんて叫んだりはしない、つもりだ。




 2/27 どんとのおじさんは誰?

最近ネット上で、NHK理科番組あの「どんとのおじさんは」キートン山田?
というのが話題になったとか。

何を隠そうズバ~リ!わたしである。3年間出演した。

教育番組は視聴率ではなく、利用率で表わすのだけれど、
ナント70%を越えて記録を大きく塗り替えたものだ。

観ていた小学生も今は30才になろうとしている。
ヤッタくんはまだ独身かな?メルちゃんは子供さんがいます。

たまに「ちびまる子ちゃん」に出演しているので、
あの番組のメンバーの近況などを話している。

因みに私の妻は小学1年生の教室であの番組を観ていたのであ~る!


 2/9 楽しい植木

庭に植樹をと、苗木を見て、あれもこれもと買って、
結局は実の成る木だけで12本。

甘夏、伊予柑、金柑、みかん、レモン、
枇杷、銀杏、栗、りんご、梨、 ラ・フランス、さくらんぼ。

花が咲き実が成るのは何年先なのか、毎年の楽しみだ。

家を建てるために伐採した木の3倍以上は植樹をして緑を増やし、
花を楽しみ、果実が食べられたら一石三鳥なり。

ブドウやキウイもいいが棚を作ると場所をとるので保留。
紅葉もいいなぁ、などと、また苗木を見に行くのが楽しみだ。

まだ若干のスペースがあるので花いっぱいの庭にしたいと考えている。



 2/6 2006ホノルルマラソン物語り。(その10)

出国の際、ボディーチェックは他の人より厳重に行われた。
そして、酒も飲まずに長い空の旅になった。
上空では一際足が膨らんだ気がした。

成田空港でも車椅子が待っていてくれ、
入国検査は機長や乗務員たちと同じ扱いで、
一般とは別の所から簡単にパス。
タクシーまで運んでもらい何とか東京に戻ることが出来た。

1月19日にようやく大きめの靴なら履けるようになった。
二度とこんな思いはしたくない。
仮に同じ状況になったとしたら絶対に走りはしない。

まずは健康であること、それには食生活、
運動の持続、ストレスを溜めないこと。

ホノマラ物語り・完。



 2/5 2006ホノルルマラソン物語り。(その9)

例年とひとつ違う事に気付いた。
痛風の箇所以外に痛みが全く無いのだ。

いつもは足首、膝、太もも、股関節など3~4日は痛いのに…。

今回はプラチナフォトン繊維を織り込んだ布で作られたウエアー上下を身につけ、
膝には同じくサポーターを着けてのレースだった。

筋肉の疲労を和らげる効果があると評判のウエアーだが、
これしか考えられない。海外のプロスポーツ選手も愛用しているのが納得だ。

痛風さえ無ければ絶対に自己記録が出た筈と確信する。

さて、帰国の日。
空港内は黒人の女性がえらい陽気に車椅子を押してくれたが、
荒っぽくて振動が足に…。

つづく。



 1/31 歌手・井沢八郎さんを偲ぶ。

1月17日夜、霊山に旅立れた。
もともとファンだった私は『あゝ上野駅』が世に発表された昭和39年に
就職のため友達と三人で上野駅に降り立った。

休みの日やホームシックになったりすると必ず上野駅に行き
人の往来をぼんやり眺めたり、駅員のアナウンスを聴いて
故郷に思いを寄せたりしたものだ。

「この汽車に飛び乗れば田舎に帰れるんだけどなぁ」と何度も思った。
そんな時いつも『あゝ上野駅』に、井沢八郎さんの歌声に勇気、
希望をもらい励まされた。

心の歌であり、人生の兄貴の存在だった。
そんな井沢さんとお付き合いするようになって25年。

公私共に大変お世話になり、また親しくさせて頂いて来た。

まさかの早すぎる逝去だ、残念でならない。
体調が思わしくなく、出席出来なくなった私の結婚式。

お祝いに、もったいなくも作詞・作曲をして歌って下さった。

この歌が、井沢八郎さん最後の作品になってしまった。
このMDは私たちの宝物だ。

1月26日の告別式では奥様のご指名により、
友人代表で弔辞を述べさせて頂いた。
但ただ感謝である。

私の心の中にはいつまでも生きています、
生涯にわたって追善供養をしてゆきます。

ありがとう!合掌。


 1/31 2006ホノルルマラソン物語り。(その8)
[完走証書]を受け取りに行くにも靴が履けない、
ビーチサンダルで昨日のゴール地点まで30分歩き、
いろんな記録が記された証書を受け取る。

帰り道、店を覗いて歩くのに付き合った。
「記念にランニングシューズを買おう」と云うことなったが
、左足は腫れあがって全然入らない。

ホテルに戻った時にはもう歩けない。
まだお昼だというのに氷で足を冷やし、ビールを飲みながらひたすら日光浴。

そして、その夜は激痛で一睡もできなかった。

翌朝、遂に海外の病院初体験と相成った。
これが痛風と初めて知る。車椅子も初体験。
ハワイ最後の日もただ痛いだけ。

つづく。


 1/29 2006ホノルルマラソン物語り。(その7)

完走者だけに与えられる、クッキー・リンゴ・Tシャツ。
しみじみ「諦めずに頑張ってよかった!」 42.195キロを振り返りながらバスでホテルへ。

シャワーを浴びて、まずはビール、呑んだ呑んだ。
ディナーはカニも食べた。この日は早々に爆睡。

翌日、右足の踵の痛みは消えたが、左足の親指の付け根が紫色に腫れあがり痛い!
ずーと右足をかばっていたので負担がかかったんだ、仕方がない。

妻がコンビニで新聞を買ってきた。
完走者全員の名前とタイムが載っているのだが、
ナント妻が2秒早くゴールしていた!

〔約束は破られるためにある〕と云った人がいたが…

つづく。


 1/25 2006ホノルルマラソン物語り。(その6)

スタート時から2時間も歩いた分を取り戻す勢いで走った。
回りに走っている人は殆ど居ない。

ダイヤモンドヘッドの景色の良いところで記念写真を一枚。
後は下りだ。そして決めた、ラスト1キロは「絶対に歩かない」と。

やがてその(あと1キロ)の電光掲示板が、その前でも一枚。
そして走りだした。長い、長~い道のりも今、終わろうとしている。
道の両側には大勢の観衆。拍手と歓声。さあ、あと100メートル!

「手を繋いで、セーノでゴールしょう」と息を合わせてフィニッシュ!
この瞬間に心の底から湧いてくる、達成感!
身体はボロボロだが心はブルースカイだ。

つづく。


 1/18 2006ホノルルマラソン物語り。(その5)

走っては歩く、走っては歩くの繰り返し。
20キロ付近で他の部分も、あちこち痛くなり休憩。

道端に腰をおろし、足全体に鎮痛剤を塗り込み、
マメにバンドエイドを巻き付け、バナナ、
カロリーメイトを食べ、バファリンをのむ。

その間に何百人ものランナー達が通り過ぎて行く。
何故か焦るものだ。そして又立ち上がる。

陽は登り暑さが加わって来た。
そしてハーフ地点。まだ半分残っているが、
一歩一歩がゴールに近づくのだとこの時、実感出来る。

歩くより、走っている時間が長くなり快調。
歩いている人が多くなり我々はゴボウ抜きにして走った。

つづく。



 1/18 2006ホノルルマラソン物語り。(その4)

「このまま部屋に帰って寝たらどんなに…」等と話ながら歩き続けた。
2時間経過した時、右側にフィニッシュゲートが見えた。

我々はまだホノルル市内だ。
「あそこに帰って来れるのは10時間後かもな」。

その時、トップランナーが帰って来た!
拍手と歓声を耳にしながら更に歩く。

ダイヤモンドヘッドの上り坂にかかった。
その辺りからは帰って来るランナー達と、すれ違いながら進む。
早いとこ歩けなくなった方が諦めがつく「よし!走ってみる」。

登りを走った。踵が地面に着かないので歩くよりは楽だった。
バファリンが効いてきたのか、走り続けた。
もう行くしかない。「一か八か」とはこの事だ。

つづく。



 1/10 2006ホノルルマラソン物語り。(その3)

そして当日。夜中3時起床。
何もしないまま諦める気にはなれず、準備をした。

痛い箇所にテーピング。おにぎりに味噌汁。バファリンをのみ、
足を引きずりながらスタート地点へ歩いて行った(20分)。
既に大変な盛り上がりだ。

邪魔にならないように数百メートル後方に並んだ。
5時!真っ暗な中スタート!と同時に盛大に花火が上がる。

大歓声の中トップランナー達は颯爽と走りだす!
我々は歩くことも出来ない。スタートラインまで20分かかった。

1時間後、宿泊先ヒルトンホテルの前を通り過ぎる時、
「このまま部屋に帰って寝たらどんなに…」

つづく。


 1/10 謹賀新年

明けましておめでとうございます。
快晴の札幌で新しい年を迎えました。
北海道の正月は、大晦日の夕方から呑み始め、
除夜の鐘を聴きながら、年越しそばを食べるまで呑むのが習わしだ。

依然として通風に悩まされたが、
(通風になった経緯はホノルルマラソン物語でいずれ)
「北海の美味」と「酒」を目の前にして、
もう覚悟の上で存分に味わった!

母に妹家族に我々夫婦、そして姪の婚約者も初顔合わせという
オマケも付いて、話も弾み最高の年越しであった。

元旦も午前九時すぎから祝い酒。ところが!

夕方からAクラスの激痛が…
夜中まで!自業自得!とは云え痛みで身体が震えたのである。禁酒中!




 


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